あいみょんがGINZAの取材で語っていた「恋愛が、自分の日常の中にあるものなのか、非日常を演出するものとしてあるものなのか」がひとつの価値観としてスッと入ってきた。
私は恋愛が上手くいかない。
もっと言うと、1年は上手くいくんだけどそれ以降が続かない。
これはなんなのかずっと考えているんだけど仮説として立ったのが、恋愛が現実になるのが耐えられないから説。
元々結婚願望はないので初めの内は楽しい!幸せ!仲良し!で付き合うんだけど、段々と愛情が増す内にこの先の生活を考えるようになる。
恋愛と生活の相性悪いんよねえーー…
それまでは自分と相反する性質が魅力だった相手が私の生活には馴染まないという印象になるし、共通点で通じ合っていると思っていたところが自己嫌悪のフィルターを通してそのままじゃダメだよ??と嫌悪し出す。
結局コミュニケーションや対人関係で人に望むものは無いしもっと言うと他人に望むものなんて何も無い。
だけどその拘りがない分自分の生き方に対しての拘りがとことんあるので、非日常を演出する恋人がその私の最も大切にしている人生に付いてくる人になった途端にかぐや姫並の条件付けを始めてしまう。
なるほどなあ
つまりは一生を添って生きる人を強く求めてはいないんだよな。
必要ないけど、お腹空いてないけど、強いて何か食べろと言うならどうせなら美味しいものが食べたい。
お腹空いてたら何でもいいもんね。お腹空いてないんだよ私、恋人に対して。
でも友人や家族で条件的には全然満たしてないけどめちゃくちゃ愛情を捧げられる人もいる。
その違いはこれまでの年月と信頼感と相手からの愛情だと思う。
だから案外なんとなくの拍子に仲良くなって条件を精査する場に立たずに親密性だけを高めた相手が、結婚に抵抗を感じない相手になったりするのかな。
なるべく私の生活には入らないでもらう関係性のとり方を心掛けたい。
家具でも何でも特別発注よりも量産品で事足りるならその方が暮らしやすいもんね(すごく人として良くないことを言っている自覚はある)
要は私が1人で生きていけるようになってから、ちょうど1人で生きていけるようになったばかりの良い人と出会えたらいいな っていう話。