おはようございます☺️美容部員をしていますはなです!
以前よりずーっと違和感のあった「幸せになる」っていう言葉。生きている限りは人は幸せを目指すべしっていうイメージに対してなんとなく納得できない部分がありました。
今日はこれについて考えがまとまってきたので、ちょっと聞いてください✨

幸せは状態であって目指せない
まず幸せって瞬間的な状態のことを指すものだと私は考えます。
ご飯を食べて幸せ・友達と過ごして楽しくて幸せ・恋人が好意を向けてくれて幸せ……など普段の生活で「あっ今幸せだ!」って思えるのって瞬間的なことですよね。
それを引き伸ばして、「こんなにおいしいご飯が毎日食べられるなんて幸せだ」とか「自分を理解してくれる友人に恵まれて幸せだ」とかといったまとめ方もよくします🙌🏻
これだと少し幸せを感じられる時間は延びますが実感というよりは理解ですよね🧐
そう!
幸せってずーっと感じ続けることはできない、瞬間的な感情又は理解からくる解釈なんです。
なんと不安定な…
でも世論的には「幸せになろう」「幸せな未来を目指すために」といった幸せの安定的なイメージがありますよね🌱
ここがずっと不思議でした。
幸せって感じるものとして普段使っているのに、これを感じることが多い人生が良いものなのかな? だとしたら幸せを感じない時間は何……?
名言「幸せなんてどうでもいい」
マイホームヒーローって漫画ご存知ですか?📖
ざっくり言うと「娘の彼氏を娘を守るために殺してしまった父親とそれを聞いた母親が娘に気付かれないように処理していく」といったお話です✨
ちょっとすごい内容ですよね。この父親の頭脳の鋭さと人間味がとても面白い作品なんですが、私が感銘を受けたのがお母さんの発言です。


事情は知らない大学時代の同級生に「給料の低い旦那と結婚して幸せ?」と聞かれお母さんが答えるシーン
ああーそんな考えがあるんだ💡と感銘を受けました。
世の中定義的には「それだけ愛せる家族がいるなんて幸せだ!」ってことにもなるんでしょうけど、私は幸せって人生の中でエッセンスのひとつに過ぎないんじゃないかと思いました🌸
めちゃくちゃかっこいいですよね、このシーン。愛しいものを守ることが大切であって、そこに幸せに感じるかどうかなんて基準は役に立たない。
じゃあ幸せって別に感じ続けたり、追い求めたりしなくても良いんじゃないかな!

どう生きたいか
モーニングノートをいつものように書いていた昨日、私はどう生きたいかなあと考えていました✍🏻
そして、私は幸せに感じるよりも思い返したり最中に自覚したとき「美しい」と思えることをし続けたい!という考えに至りました✨
美しいとは何か
例えば、
- 家族を大切にすること
- 友達を喜ばせること
- 人に親切にすること
- ボディメイクに精を出すこと
- 仕事をやりがい持って取り組むこと
- 目標のために努力すること
これって全部美しいですよね。
これなら幸せに置き換えられそうですが
- ベッドでゴロゴロまったり過ごすこと
- おいしいご飯を好きなだけ食べること
- 気の合う友人と毎晩飲み会を開くこと
- 恋人を必死に追いかけること
といった一時的な快楽って、幸せではあるかもしれないけど美しくはないですよね🍔
一瞬一瞬の楽しみを積み重ねたとしても、ふと人生を振り返ったときに虚しさを感じるんじゃないかな と思います。それって良いことではないですよね。
反対にどれだけ辛くて悲しいことがあってとても幸せとは思えない時でも、見方によって美しく感じられるなら人生においてはありです🙆🏻♀️
何かに真剣な人は、取り組んでいるその場では幸せを感じていなかったとしてもやっぱり美しいですよね。受験生とかアスリートとか🏃🏼♀️🏃♂️
これだ〜〜〜〜✨
そう!だから美しく生きたいと思うんですよ
美しいってなにか
美しいと言うとヘルタースケルターのような妖美なイメージを抱く方もいらっしゃるかと思いますが、私の思う美しいはこの写真のようなイメージです⤵︎⤵︎⤵︎

全部表現してくれていて便利😌🙏🏻
決して明るいとは言えない環境下でもツタを張る力強さ。青い葉のみずみずしさ、こんなにかわいいほわっとした皮で種を熟すまで守り続けた鬼灯の威厳。
まだ考えの全部は言葉にできていないのですが、着飾るのも素敵だけどまずは素朴にこんな風に美しく強く生きたい!とこの写真を見ると思えます✨
幸せを追い求めなきゃーーっと思っていたときは、「私は何なら幸せを感じられる?」というふんわりとした基準と 「今は良くても将来は幸せだと思えないかもしれない」という根拠の存在しようのない不安でウロウロしていました。
でも美しくあれば私は満足なんだとしたら、かなり評価軸として堅いポイントなので結構安心☺️
そして幸せって感じるものだからこそ受け身的で与えてもらうものというイメージもありました。そう考えると幸せになれるかどうかは周りの環境次第であって、自分の人生が自分で操作できない怖さも覚えていました。
でもこれも自分にとって美しいかどうかを評価軸にすれば与えてもらう必要はないですよね✌🏻
ずーっとモヤモヤしていた思考が少し明るく解決しはじめてうれしいです💃🏼💛💛
見方を変えるって大きい
余談ですが、ノートでこれに気付いた際「やっぱりモーニングノートすごい!朝からこんな喜びを味わえるなんて思わなかった」と書いていました。その文を読み返してびっくり。
そっか喜びとか感情って味わうんだなと💡
味わうっていうのは食べ物を味わう時のイメージで解釈すると、そのおいしさ・素晴らしさを存分に受け取って感じてその後は飲み下しておしまいですよね🙌🏻
そんなものだと思えば楽じゃないですか?
幸せも喜びのように瞬間的な意味合いが強い感情なんだとすると、感じるだけ感じてあとは胃に入っておわり🙆🏻♀️
分かりやすい!ずっと持たなくて良いってすごく楽で肩の荷が下りますよね。

当たり前に目指すべきだと思っていた幸せというものが、なんとなく息苦しかったんです。
それが考え方ひとつでこんなに自由に捉えることができて、何も諦めずに楽になれたのはすごいこと!!
同じように悩まれている方の何かひとつでも役に立てる記事になったらうれしいです☺️